やるだけやってみようの記録

妊活日記→発達障害児育児日記

保育所等訪問支援の面談に行ってきました

 先日の事ですがタイトルの通りです。
 一応、わが子の、今のところの特性と呼べるような行動や状態、幼稚園でできてほしいこと、困りごとなどを文書にして作って持っていきました。色々喋ってわちゃわちゃしちゃうと相談時間が足りなくなるかもと思ったので。
 しかし面談相手の職員さんはあんまり見てくれなかったというかその場では活用しませんでした……。まぁ、面談が終わった後にじっくり読んでくれればいいかなぁと……。一応、面談中にちらちらと見てはくれたみたいで「あっ、このこと、紙に書いてきてくれましたね……どこに書いてあったっけ」とか言ってはくれていました。

 面談中に、わが子の、今現在の状態というか、特性ぽいものがちょっとはっきり見えてきました。

  1. 食に執着がない
  2. 親しくない人は認識しづらい
  3. 指示が通りづらい
  4. 共感力が低い
  5. 達成感、褒められた嬉しさが持続しない

 あたりです。
 1.2.3.あたりはわかっていたのですが、4.は面談していて改めて浮き彫りになったというか。5.は、うすうすわかってはいたんだけど面談して明瞭化できたというかはっきりしたというか。
 1.はともかく、2〜5は「人に興味がない」が原点な気もするなぁ……。
 驚いたのが、私が「この子はこうでこうでこういうところがあって……」って言ったら「絵を書いたりしてお母さん見てとかできたよーとかやりますか?」と聞かれたこと。思わず勢い込んで「そうなんですそれが無いんです!」って言っちゃった。自分の中ではっきりと形になっていなかった困り感が、職員さんの言葉で言語化できました。あと、「二語文が二語文というより文章自体が単語みたいになっちゃっている(「お茶ちょうだい」という言葉が「お茶」「ちょうだい」ではなく「お茶ちょうだい」という1つの単語のように話す)と言ったら「最初に聞いたことがインプットされるのか……」って言ってて、うわーそうだ! って思いました。そうかだから「二語文かこれ?」って思ったんだ。単語を組み合わせて文章のバリエーションが増えないってのが違和感だったんだなーと。
 やっぱプロってすごいね。そういう子と接している職員さんだから、親の話を聞くだけでその子の特性がすぐわかるんだろうなぁ……。
 4.の「共感力が低い」のは「ママも一緒にやろうよー」とか「ねぇ見て見てママ」とかが無いんです、うちの子。「ママ書いてー」とか「ママがやるー」とかはあるんですけど……。
 で、今のところの大問題が5.なんです。
 この時期って覚えること、できていくことが多いわけですよ。トイトレとか幼稚園の支度とか片づけとか。で、そういうたぐいの躾って「とにかく褒める」わけですよ。「トイレできたね!」「お支度できたね!」「片づけられたね!」とか。知育的なことも「ひらがなが読めたね!」とか「数を数えられたね!」って褒めるわけですよ。普通の子なら「ほめられたい」でどんどん覚えて行ったり、褒められることで達成感を得られたりするわけです。
 わが子の場合、褒めてその場では嬉しそうにするけど次につながらないんです……。褒められたことを忘れちゃうのか、褒められても大して嬉しくないのか、次に褒められたいって欲がないのか、あるいは全部か……。嬉しそうにする時もあるし、こう……褒めても「あ、響いてないわ」って時もある。親も達成感がないわけで、躾とかもうマンドクセになっちゃうんですよね……。
 だから躾がしづらい。
 3歳前くらいになると「いい子にしてたらサンタさんが欲しいものをプレゼントしてくれるかもしれないよー」って言うわけですけど、わが子はそんなんだったのでクリスマスありませんでした。そもそも欲しいものが何かわかんなかったし(意思疎通できない)、欲しいものを手に入れたところで嬉しいって感情を出すかわからなかったので親がやる気なかった……。
 この「ほめると嬉しそうにする」ってのがないのって、結構しんどいです。以前親子教室でその話をちょろっとしたら「ご褒美がないですもんね」って言われたんだけど、子供の達成感や褒められて嬉しそうにしているっていうのは親のご褒美でもあるんだなって泣きたくなった。つか泣いた。

 わが子の場合は、褒めて伸ばす躾より「ルーチンを覚えさせる」というのが躾なんだろうな。支度も「できたねー」って言うんじゃなくて、とにかく最初にその通りにさせるっていう。
 失敗したなーっていうのが、幼稚園の最初の最初。つまり「教室に入って靴をしまって上靴をはく」。初日、早めに登園したけどまぁ他の親御さんも同じことを考えるわけで、つまり幼稚園の先生や他の子がいたので、わちゃわちゃしちゃって混乱して、もうだめです。たぶんこれが、他の人がいなくて幼稚園の担任の先生もいなくて私と子どもだけだったら、最初に「靴履いて。しまって。上靴持って。履いて。」ってやれば、翌日からはそれなりにスムーズだったと思います。まあ集団の中に身を置く限り無理なんですけど。
 これが健常児だったら、共感性があるから「他の子を見てまねる」ができるんですよね……。あとはまぁわが子は視覚優位で刺激のあるものが目に入ってくるとそっちに意識が行っちゃうからね……。健常児だったら何が見えようが先に靴しまうもんな多分……。
 成功したところもあって、「カバンをしまう」はできるんです、指定の位置に。だからわが子の中でカチッとはまればいけるんですよね。そのはまり方がまだ親の私もいまいちコントロールできないので難しいです……。

 面談時、何度か「困り感はいつからありましたか」と聞かれました。おそらく職員さんとしては乳児からとか1歳すぎくらいからっていう答えを想定していたのだと思いますが、私は「だいたい2歳くらいからだと思います」と答えました。だから何度か聞かれたんだと思う。
 発達相談等の際に必ず「閉じられた世界では、育児で困り感が出たことはありません。親しい人間となら指示は通るしひどい癇癪もこだわりもない、言葉は遅いけどコミュニケーションは取れる、夜も寝る視線も合う、最近は飛び出したりすることがない手もつなぐし」と私は言います。今回も言いました。
 夜も寝るし視線も合うしこだわりもないし癇癪もないし低月齢のころからあやせば笑ったし人見知りもあったし後追いもあったし昼に刺激的なことがあって夜泣きするとかもなく体の発達(寝返りから歩き出しまで)はド標準だったし(今回ここまで全部言いました)。ところが集団に身を置くようになって、最初は話を聞かずに走り回る子もいたけどうちの子もそのうち座って話を聞くようになるだろうと思ってました、と。
 思い返せば、夜泣きが数えるほどしか無かった(夜遊びはあった(笑))ことと指さしが少なかったことが、今になって思うと……というシグナルだったんだと思います。しかし指さしも、全然しなかったわけじゃないんですよね……。

 なんかもーこんなこと言うと怒られそうだけど、ひどいイヤイヤ期やひどい夜泣きがあってもいいから共感能力欲しかったです。というか共感能力があるからひどいイヤイヤ期やひどい夜泣きがあるんだろうな……それらは健常の発達で通る道なんだろうな……。